名古屋ゴルフクラブ、和合コース
Nagoya Golf Club (Wago Course)

コースデータ
所在地 愛知県
コース長 6547ヤード 、パー70
コースレート 71.5
プレー日 2003年12月4日
設計者 大谷光明
オープン1929年
キャディあり
ゴルフカートなし
評価
総合評価
4.65
コースレイアウト
4
難易度
4
グリーンコンディション
5
フェアウェイコンディション
4
造形美、景観
5
満足度
6
クラブハウス

コースの距離は6500ヤード、パー70と少し短いが難易度は高く、すばらしいレイアウトはプレーヤーの挑戦心を煽る。Outは表情豊かなホールが多く、Inは全般的に距離が長めになり難易度は高い。各ホールとも大きな老松でセパレートされていて、その威厳ある風格は長い歴史を物語る。ほとんどのグリーンが砲台で美しく、またグリーンガードバンカーが絶妙に効いているのも特徴。
 
2番 パー5 513ヤード
2番 パー5 513ヤード
2番 パー5 513ヤード (2)
2番 パー5 513ヤード
2番 パー5 513ヤード (1)
距離の短いパー5。2打目は若干打ち下ろしになるためティグランドからはピンが見えないが、フェアウェイを歩いていると、突然現れる砲台グリーンの曲線美には感動させられる。
 
3番 パー4 443ヤード
3番 パー4 443ヤード
3番 パー4 443ヤード
非常にチャレンジングなパー4。右ドッグレッグで距離が長く、左右のバンカーにしっかりガードされているグリーンは3ヤードほど砲台になっている。グリーン右と奥にOBがあるので注意が必要。
 
4番 パー3 172ヤード
4番 パー3 172ヤード
4番 パー3 172ヤード
景観のすばらしいパー3。グリーンは砲台で、横に細長いグリーンの左右には深いバンカーがある。これらのバンカーに入れるとパーセイブは非常に難しくなる。
 
8番 パー4 402ヤード
ほぼ直角に左に曲がるパー4。細長いグリーンの左右をバンカーが固めている。
 
8番 パー4 402ヤード
グリーンから振り返る8番ホール
8番 パー4 402ヤード
8番 パー4 402ヤード (2)
8番 パー4 402ヤード
8番 パー4 402ヤード (1)
 
9番 パー4 366ヤード
9番 パー4 366ヤード
9番 パー4 366ヤード (2)
9番 パー4 366ヤード
9番 パー4 366ヤード (1)
距離は短いパー4。グリーンにアンジュレーションがあり、グリーンと手前と奥のバンカーの境界線が織り成す曲線美が美しく、すばらしい表情を持っている。
 
12番 パー4 393ヤード
12番 パー4 393ヤード
12番 パー4 393ヤード (2)
12番 パー4 393ヤード
12番 パー4 393ヤード (1)
ティグランドでは前方の木々が邪魔になりアドドレスしずらい。打ち下ろしになるため実質距離は短いが、ティショットの落とし所がタイト。グリーン周りはバンカーで固められている。
 
13番 パー3 197ヤード
13番 パー3 197ヤード
13番 パー3 197ヤード
このショートホールも、グリーン手前、左右を深いバンカーが固めていて、花道が狭い。
 
15番 パー5 584ヤード
15番 パー5 584ヤード
15番 パー5 584ヤード (2)
15番 パー5 584ヤード
15番 パー5 584ヤード (1)
強い左ドッグで、打ち上げ且つ距離の長いパー5。
 
17番 パー3 170ヤード
17番 パー3 170ヤード
17番 パー3 170ヤード
斜め細長いグリーンの前後をバンカーが固めている。特に、グリーン左手前のバンカーは深くて入れると厄介。1990年初めにプロのトーナメントの最終日でジャンボ尾崎がティショットをこのバンカーに入れ、ピン根元が見えないのに劇的なチップインバーディを奪い、逆転優勝したホールとして有名。このホールはアメリカのゴルフマガジン誌にて2000年度世界ベスト500ホ ールに選ばれている。
 
余談
 

名古屋中心地から車で1時間。原則的にメンバー同伴が必要。平日はメンバーの紹介でビジター3人までプレーできるが、全ての経費はメンバーの請求書に付けられる。18ホール、スルーでプレーできる。Outプレー終了後、10番ホール横の茶店で20分ほど食事が出来て、きしめん、おでんが美味しかった。

ゴルフクラシック誌主催2002年日本ゴルフコースランキングでは14位に選ばれていて、実力どおり再度プレーしたくなるすばらしいコース。他の有名な大谷光明設計のコースは東京GC(同ランキング4位)、川奈GC-大島コース大箱根CC加古川GC等がある。大谷氏は京都の由緒あるお寺が実家で、英国に留学中にゴルフに出会い、英語のルールブックを日本語に翻訳しルールを初めて日本に導入した人で、日本ゴルフの基礎を築いた人。